休む勇気
久しぶりの一人時間。
(偶然息子の園の休園3日間と
夫の三連休が重なってたの)
両親に留守番頼まれたので(実家が教会なの)
とにかくダラダラゴロゴロ過ごしてる。
食べたいもの食べたいときに食べて。
スマホいじって。
ぐぅたら主婦。
一人になると普段気づかない身体の疲れを実感する。
何もしないことに
罪悪感が湧いてこないわけじゃないんだけど
何を感じようと
今日はゆっくりのんびり過ごすことが大切な気がする。
しっかり休んだ後は
必ずヒラメキと行動力が生まれる。
休みたいのに常識から自分を責めて動くのは逃げ。
休む勇気。
好きに生きる勇気。
大切だよね。
tohokamiehitame123.hatenablog.com
好きを表現すると好きが寄ってくる
「撮ってもらうの好きかも♪」
「撮るの好きかも♪」
のシンクロが引き合わせてくれた撮影会(^^)
夢も目標もない自分を受け入れる
家・物・仕事・役割・お金・夢、とか
常に次の目標を決める習慣がついてたんだけど、
最近、本や画像観てワクワクを探そうとしても
心がトキメクことがなくなってた。
子育て中〜我が家流夫婦喧嘩のルール
子どもの前で夫婦喧嘩して
子どもの前で全てをさらけ出して
子どもの前で向き合って
子どもの前で反省して
子どもの前で仲直りする
あなたの当たり前はなんですか?思い出して3歳の頃の気持ち
「寝て起きて語る」
「たまに踊って撮って旅に出る」
私が当たり前にできること。
全く苦にならないこと。
するなと言われたら病気になること。
好きなこと。
つまりこれこそが私にしか出来ないこと。
私にとっては普通すぎることが
人から見て魅力となる。
写真〜ここ天国?榎本牧場 荒川サイクリングロード〜
ここはどこ?
天国の入口みたい。
上尾(埼玉)にもまだこんなとこ
残っていたんだね。
身も心も浄化されるのを感じたよ。
ちょっとサバンナのオアシスみたいにも見える。
空も青くて綺麗だったね。
ススキも見つけたよ。
いつまでも遊んでいたくなっちゃうね。
走るのも速くなったよ。
ママのとこまでかけっこ。
おひさまに手が届いちゃった。
また来ようね。
直感は現実化するんだね
息子が通う「いなほ保育園」
の園長先生が以前スタジオジブリの
機関誌に連載していた。
その記事をまとめて書籍化された本。
欲しいけど絶版だし、
またきっと手に入るだろう。
と思っていたら…
裕治(夫)さんの働くカフェの店長さんがくれた!!
どうやらカフェの常連さんが
いなほ保育園の卒園生で
今はお子さんを通わせるパパさんとなっているんだとか。
そのパパさんがカフェで読めるように置いてほしい。
と店長さんに譲ってくれたものが
時を経て私たちの元にやってきた。
やっぱり予感は的中するんだなぁ。
「欲しい」
「自然と手に入る」
って感じるものは本当にそうなるんだなぁ。
と嬉しい気持ちになりながら
読みはじめています。
また響いた言葉を引用シェアしますね♡
不安や恐れは自分のストーリーを盛り上げるためのエッセンス
主催セミナーの集客の不安や焦りは常にあります。
それでも最初に
「やりたい!」ってひらめいたときの
イメージが真実だと思う。
《講師の先生や参加者さん達の表情。
会場の雰囲気や、そこで自分が楽しく充実している感覚》
それをありありと感じて確信して依頼した。
その瞬間には不安は一切ない。
無邪気な子どもそのものだ。
不安や疑念は「世間の常識」に洗脳された
オトナの自分が後から後から身にまとうもの。
わざわざ自分で自分に不安を感じたがるんだよね。
でもそれも当然だよね。
不安があったっていいよね。
逃げずに不安や恐怖を受け入れると
不思議と自分を纏うエネルギーが変わる。
そしたらあら不思議。
直接、集客をがむしゃらに頑張ったわけじゃないのに
お申し込みが入った。
驚く私と「やっぱりね〜」と思っている私。
無邪気な自分はいつでも私を信頼してくれている。
それに気づきさえすれば
全てが自分の描く通りに現れてくるんだね。
自由に生きるということは人から変人扱いされることを受け入れること
「〇〇は、みさきちゃんに洗脳されてる」
とか色々言われている私ですが…笑
言われること自体は人間だから悲しいです。
でも
「自分自身の人生を生きる」
「自由に自分の道を選択する」
っていうのは
人と違う自分を認めて行動すること。
人からおかしく見えて当然。
悪口言われて当たり前。
相手が私をどう思うのも自由。
それを受け入れてこそ
本当の人生を生きられると思う。
「どうしちゃったの?」
「どこ目指してるの?」
と思われていますが
どこを目指しているのか…
あえて言うならば《究極の自分》です。
答えなんて出るはずもないことをやっています。
それが面白いし
生まれてきた意味の一つだと感じるから。